物件探し
こんにちは。ヒトツボ社長のえいちゃん(46)です。
かつて大坂(おおざか)と呼ばれた大阪中央部。その中で一番最後に開発された地域が「堀江(現在の北堀江・南堀江)」と言われています。
今では若者に人気のファッションの街、子育てファミリーの街、または家具・インテリアの街としても有名ですが、意外にも私の故郷・高知県とも、古くからつながりが有るのです。
江戸時代に、高知県の白髪山から切り出したヒノキの材木が吉野川・和歌山湾・大阪湾を経て大坂の(今でいう)堀江あたりまで運ばれ、
土佐藩の野中直継という役人が日本で最初の材木市場を開きました。
やがてその地域は白髪町と呼ばれ、当時の長堀川にかかる橋は白髪橋となり、その名残りが「白髪橋交差点」として今も残っています。
また同様に土佐(高知)の名産品である鰹節を取引する鰹座(業界団体みたいなもの)も生まれ、たくさんの問屋・商人たちで賑わっていたと言われています。
そしてその名残りが「鰹座橋」。
こうした情報は、実は西区役所へお邪魔した時に色々な資料・パンフ等をGETしまして学ばせて頂きました(^^;
区役所ホームページにも記載がありますので、ご興味お有りの方はご参照ください↓
家具・インテリアの街としても有名な堀江ですが、このように数百年前より材木を中心とした商業地域として栄えた歴史が背景となった事は想像に難くありません。
また当時の大坂~土佐の距離感はほぼ外国レベルだったとも言われ、その移動は時によっては命がけだったそうです。
果たして私が江戸時代に生まれていたとして、土佐から大坂へ移り住む事はあったかな・・・?
奇しくも25年以上前、私が大阪で初めて住んだ町も西区でした。